ポジティブ・シンキング

アメリカ人は基本的にポジティブ・シンキングだと思う。今まで、あまりネガティブ・シンキングのアメリカ人に会ったことがない(根がネガティブ・シンキングであっても、ポジティブ・シンキングであるかのように振る舞っているのかもしれない)。あまり一般化しすぎるのもどうかと思うが、一緒にゴルフでラウンドしていても、たとえばドライバーで打った第一打が左右の林に入った場合、日本人であればグリーンに近づかなくともとりあえずフェアウェイに戻すことを考えて短い番手のアイアンを使うことが多いが、アメリカ人はたとえ木の間隔がそれほど広くなくてもよりグリーンに近い方へ長い番手のアイアンでチャレンジすることが多いように思う。要はリスクの許容範囲が広く、さらに言えば、日本人にとってはリスクであることをリスクとも捉えないのかもしれない。リスクを取った結果、それはいい結果をもたらすことも悪い結果をもらたすこともあり、きっとその平均はリスクをあまり取らない日本人とほぼ同じなのだろうが、ボラティリティ(金融用語で言えばβ)が大きいのだろう。もしかしたら「きっといい結果が待っているに違いない」という確信を持っている分、そこまでの確信を持てない日本人よりもリターンは若干大きいかもしれない。僕自身もかなりの楽観主義、ポジティブ・シンキングだという自覚があるが、アメリカ人と話すたびにどこから彼らのこの考え方は出てくるのだろうと思わずにはいられない。


このアメリカ人のポジティブ・シンキングとおそらくセットになっているのが、彼らのいい加減さである。たとえばゴルフをしていても、アンプレイアブルで球を動かしたのにそれをスコアにカウントしないなどというのは日常茶飯事だし、ライが悪ければライのよい方へ少し球を動かすこともよくある(まあ、これは日本人にも多いかもしれない)。正式な試合ではなく、あくまでもプレジャー・ゴルフなのでそんなに神経質になる必要もないのだろうが、さすがにそのようなずるをして「バーディーだ」「パーだ」などと言われるとカチンとくる。こういうのは、真面目にやり過ぎている方がおかしいのだろうかとさえ思うが、どうなのだろうか。きっと、だいたい合っていればそれでよいのだろう。


一つ言えるのが、このようにポジティブ・シンキング、かつ、いい加減だと、きっと人生もより楽しいのだろうなあということ。短い人生、できるだけ楽しむのが勝ちである。