オフレコ取材の意味

漆間副長官がオフレコとはいえ、誤解を招きかねないことを記者に話してしまったことは、それはそれで問題かもしれない。しかし、マスコミが決して報じないより大きな問題は、まず、オフレコ取材に同席した記者の誰かが記者の生命線であるニュースソースを民主党筋などに明かしてしまったこと、そして何人かの記者がオフレコ取材の紳士協定を逸脱して、正式の記者会見の時にオフレコ取材時の言葉、しかも当時の私的な見解について「あなたオフレコ取材の時に私の問いかけに対して・・・と言いましたよね?」と言質を取ろうと迫っていること。このように迫られたら「記憶にない」と返すしかないだろう。

オフレコとは言葉だけを厳格に捉えれば「記録しない」というだけのことかもしれないが、通常は情報源と記者の信頼関係に基づき、通常の記者会見では得られない政策決定の背景などについて率直な説明することにより正しい認識の下で記事を書いてもらうために設定する場であり、重要な事実関係については必要に応じ情報源をぼやかして発言を引用することも許容されている。今回は、このような信頼関係と暗黙のルールを犯しているにも関わらず、それは無視してまるで鬼の首を取ったかのようにマスコミが騒いでいるが、恥ずかしくはないのだろうか。

このようなことがあると、漆間副長官だけでなく霞が関・永田町全体がオフレコ取材に対して慎重になり、今後マスコミの重要な情報源から必要な情報が得られなくなると思うが、いったい何を考えて騒ぎを大きくしているのだろうか。もはやマスコミとて目の前さえよければよく、中長期のことは考えなくなっている証左であり、ちょっとさびしい。