DNA鑑定の限界

足利事件無期懲役判決を受けて服役していた方の有罪の直接の証拠となったDNA鑑定が間違っており、再審請求が認められ、更に再審の判決が出る前に異例の釈放となったというニュース。警察・検察・裁判所の大失態であり、この再審前の釈放がそのインパクトの大きさを物語っている。素人としては「DNAが一致した」と言われるとすぐに「もうこりゃ有罪だろう」と思い込んでしまうが、18年前は手作業で鑑定作業を行っており、そんなに鑑定精度が高くなく、数十人から数百人に一人が一致していたというのだから何ともひどい証拠採用である。まあ、かつてこの捜査・裁判プロセスに関係した人たちは、僕と同様にDNA鑑定に対する過信が前提にあり、自白も取れたので間違いないと判断してしまったのだろう。同程度の鑑定精度のDNAを直接証拠として採用し有罪となった事件がまだいくつかある(しかも死刑執行事案もあるとのこと)ということで、今後一波乱、二波乱ありそうな予感。

それにしても17年半もの間、無実にも関わらず懲役に服していた方の憤り、悲しみを考えるとやるせない。こういう間違いがないようにするために厳格な捜査手続・刑事訴訟手続があるはずなのに、それでもこういったミスが発生してしまうのはどういうことなのか。前の手続・判断が正しいことを前提にそのネガチェックをする姿勢に陥りがちな後手続に大きな原因があるのだと思うが、特に殺人などの重大事件に関しては裁判手続(というか裁判に臨む裁判官の姿勢)の見直しが必要だろう。「警察・検察の捜査には間違いがあるかもしれない」ということも頭に入れつつゼロベースで裁判官が裁判に臨めるようにするには、どういった仕組みが必要なのだろうか。