人生かくもはかなきもの

中川さんが自宅で亡くなったというニュース。個人的には、彼が政調会長のときに一度実際にお会いしたことがあるが、自民党本部の政調会長室にて家で履くようなふかふかスリッパを履いていたのが印象に残っている。まだ50代中盤と特に永田町においては若い死だった。あのローマで歴史に残るような大失態を演じ、そして先般の総選挙で敗れるという尻すぼみの寂しい晩年で、マスコミはこぞって「挫折したエリートの死」と報じている。原因は何だかよく分からないが、総選挙で地元でも徹底的に叩きのめされた失意が影響を与えているのは間違いないだろう。

彼の急逝を自業自得と片付けてしまうのは簡単である。しかし、一連のニュースを聞きながら、考えさせらたことが2つある。1つは、いつ死んでも良いように、人生の優先順位をしっかり意識しながら歩まなければならないなということ。中川さんの場合、国のためにという強い信念をお持ちで、かつ家族をとても大事にされていた方である。当初は、国、社会、家族といったものが彼の人生において高い優先順位を持っていたに違いない。が、酒で身を崩してしまった。あまりにも責任感が強かったために酒に逃げざるを得なかったのかどうかまでは分からない。しかし、自分が本来やりたかったことがいつの間にか酒に侵食されていってしまい、ちょっとした酒による誤りがやがて大きな誤りを招き、いつの間にか人生が酒により支配されるに至り、悪循環を招いてしまったのだろう。無意識のうちに増殖する悪癖は怖いものである。意識的・定期的に、果たして自分が設定した優先順位どおりに人生を歩めているのかどうか、それを阻害するような要因があるのかないのかなどきちんと確認しなければいけないなと思った。

もう1つは、自分が存在することによって少しでも「+」の影響を社会に残したいということ。中川さんの場合は、とかく晩年のローマでの外交上のチョンボに衆目が集まるが、永田町で陽の当たるポストを歴任してきたことに端的に表れているように、永田町の世界で一心不乱に頑張り、政治的に大きな功績を残してきたことも事実である。その政治的功績が万人が評価するものでは必ずしもないとは思うが、複数の男泣きする盟友がおり、社交辞令はあるとしても多くの仲間が「もったいない」と評価するのは、彼が永田町に対して持続的に「+」の影響を与えてきた証左である。それは日本における数々の酒の失敗でも消えず、ローマでのチョンボをもってしても帳消しにはできていないはず。彼のように圧倒的な「+」を築いて、同様に圧倒的な「ー」を隠し、結果「+」を出すという剛胆な生き方もあるが、どちらかというと両方とも山を小さくし、ちょっと「+」を上回らせるくらいを目指したい。